思い出

少しダウンしていました。
腕の痛みがつらくて、やっぱり整形外科に行ってこようかなと思っていたところへ、
今度は右目の奥が痛み、目もぼこぼこになっていて、びびり、まずは眼科へ走りました。
目薬をもらって、だいぶ落ち着きましたが、やっぱり疲れ?それともトシ?どっちもか(笑)
まあ、脳血管からきたものではなくて、ほっとしました。

早いもので、あっという間に初七日、そして10日が過ぎました。
まだ、夢を見ているような気持ちもありますが、思い出すのは、やはり元気だったころの笑顔です。

葬儀を終えた後、家で娘たちが父の映っているビデオを見ようと言いました。
古いVHSのテープで、画像もあまり良くありませんが、両親が金婚式を祝ったときのものでした。
ちょうど、私が発病した翌年のことだったと思います。14年前のことかな。父は77歳。みんな若い(笑)
私たち兄弟と連れ合い、7人の孫たち、それに、葬儀にきてくれた叔母夫婦もきてくれていました。
父は詩吟を歌い、母と並んで、とてもうれしそうにしていました。
私も歌いましたが、早送りしたいくらい下手(汗)
本当に幸せなひとときだったように思います。

下の娘が、携帯で父の好きだった歌をダウンロードして聞かせてくれました。
この歌、父に聞かせたいって思っていたんですよね。
なぜ、もっと早く聞かせてやらなかったのだろう、涙がまたぼろぼろ落ちました。
軍歌も歌っていましたが、戦争のことを話すことは滅多にありませんでした。
忘れることができないけれど、忘れたい、そんな思いもあったのでしょうね。

私が高校生だったころは、小さな田舎町の駅長さん。
向こうから走ってくる高校生を待って、出発のホイッスルをふいていました。
その、ホイッスルも、棺に入れました。

囲碁が好きで、オセロでは上の娘が何度も何度も向かっていっていました。
この子、オセロがすごく強くなっていて、私はもうする気になれません(笑)
お通夜の晩に、酔った兄がチャレンジして娘に負け、すごーく悔しがっていました(爆)
この負けず嫌いなところ、父譲りです。ええ、私も(^-^)
ずっと後になって、娘が、
特養にオセロを持って行って、いっしょにやりたいと言ったこともありました。
たぶん、もう無理だったと思いますが、今になってみると、
そんなこともやってみると良かったなあと思います。

これからもたくさんの思い出を心に浮かべながら、
天国に向かって、お父さん、ありがとうという気持ちを送ります。
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大丈夫ですか?

心と身体が悲鳴をあげ、色んなところに色んな症状が出たのかもしれませんね。  
呉々も無理をしないでね・・・・

身内を亡くす・・・お友達も同じだけど、でもやはり血の繋がりのある人が亡くなるのは身を削られるような痛みを感ずるように思います。
妹とは、やっと子供にも手が掛からなくなった時期で相談事もお互い話始めた頃でした。 
お酒が好きな姉妹でしたが、一度も妹と呑みに行く機会がありませんでした。   
それだけが唯一の心残りです・・・・・

もう、8年が経ち妹の骨がある義弟の家でも涙をながすことは無くなりましたね・・・それが、『痛む心が癒えた・・・』 ということかもしれませんね。

まだまだ淋しい時間は続きますね。
沢山思い出して沢山泣いていいと思いますよ。

oimoさんへ

いつも温かい励ましをありがとうございます。
そうですね、肉親を失ったのは初めてのことでした。
共に闘ってきた大切なともだちが旅立ったときも、身が引き裂かれるようなつらさがありましたが、
父の場合は、もう少し深いものがあったように思います。
長い間、なくてはならない存在だったのですから、当然のことですね。

妹さん、ちょうど色んな話ができるようになったころのことで、本当につらいできごとだったと思います。
もちろん、まだまだ若い時期でのこと、残されるものたちにもたくさんの思いがありますね。
一度も飲みに行ったことがなかったのは、やはりちょっと残念だったことと思います。
8年、たくさんの涙を流してきたからこそ、今のoimoさんがあるのでしょうね。
時間の流れが、すべてを埋めてはくれないけれど、優しく包んでくれるような気がします。
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